【MixOnline】パンくずリスト
【MixOnline】記事詳細

東日本大震災の被災地現地リポート 医師による被災地現地リポート 第2弾  (2/2)

公開日時 2011/05/20 04:00
12

 

 

 

 津波被災地域や近隣地域の医師のコメント
◎当院は宮城県利府町にあり、震災により色々な影響がありました。津波が起こった地域に隣接して津波被害にあった患者が地震の翌日から受診しました。救急車も当院にやってきたが、通信手段が不通のため無線連絡はなく、とにかく病院に行くという状態で診療にあたっていました。当院では対応不可能でお断りせざるを得ない症例もあり、仙台市内の大病院へ同様に連絡なしで行ってもらうことがかなりありました。停電による連絡網の不通が診療にかなり障害になり、いかに情報を伝えられるかという通信手段を確保することと患者の移動手段の確保が最重要と思いました。(岩手県、50代、一般外科)
◎外勤先が福島で、被災しました。津波の被災地ではなかったが、そのまま帰れなくなったので3日留まりました。エレベーターやボイラーが壊れ、下水がつかえなくても急患に対応しなければならない病院なので、現地スタッフとともに救急対応し、緊急手術も行いました。そのときの教訓として、「災害時にも救急を行わなければならない病院では、カルテの電子化はしてはダメです!」(神奈川県、50代、産婦人科)
◎勤務先は被災地県にありますが、インフラは災害を想定した地震に強い免震棟だったり、井戸水や非常用発電機も問題なく稼動しほぼ通常の運営ができました。1週間分の消耗品はストックとしてありましたので、緊急手術は当日から行い、透析患者は周辺の病院から受け入れ、周辺クリニックが稼働されるまで日曜・夜間遅くまで受け入れました。 周辺病院は機能が制限されるなか、免震病棟の威力をまざまざと実感しています。 (茨城県、50代、麻酔科)
◎普段あまり経験しない病状の患者が多く、はじめは戸惑いました。急性上気道炎をはじめとする呼吸器の炎症が非常に多いです。原因は感染ではなく、建材や汚泥が微粒子の粉塵となって舞っているため、これを吸い込むことによる化学的または物理的刺激です。当初は治療に迷いましたが、ステロイドが奏効することを経験的に学びました。(宮城県、60代、一般内科,消化器内科等)
◎当院は被災地域の基幹病院であり、さまざまな活動をした。幸い当院そのものには大きな被害はなく、手術を含めて1週間ほどで通常診療に戻ることができた。初期段階では被災病院からの患者受け入れ、ほぼ並行して前線の病院への医師派遣を行い、ほぼ落ち着いたのはここ1、2週間のことである。医師派遣には大きく、診療そのものを行うことと、現地で不眠不休で診療してきた医師を休ませる意味がある。(宮城県、40代、消化器外科,一般外科)
◎仙台市内の開業医なので、一応被災地域にいたわけですが、診療所内は物の散乱と給湯器の損傷程度だったので、翌日から診療所を開けました。しかし電話、電気、水道、ガスが使えず、連絡手段・明かり・暖房がなく、患者さんも数人しか受診せず、拍子抜けの状態でした。その中で印象に残ったのはパニック状態の患者さんが多いことでした。やはり激しい地震とその後の津波被害が衝撃的だったのでしょう。平常心を保てず、「大丈夫だと声をかけて欲しい」と自分から要求する人もいるほどでした。4月以降は後方支援とでも言うような状況で、沿岸の被災地から着の身着のままで親戚を頼ってくる患者さんが多く、今までの診療内容を確認しながら、出来るだけそれに近い内容で処方したり相談に乗ったりしてます。(宮城県、60代、一般内科,消化器内科等)
◎当院は被災地にある病院で救急に特化して取り組むはずだったが、施設自体が損傷してしまい、残念ながら十分には取り組めなかった。(宮城県、40代、消化器内科)
◎津波被災地から数キロ離れた診療所です。津波は診療圏の一部で破壊的猛威を振るいました。当日はデイケアの利用者さんを帰すのと、地震での被害の回復に努めました。結局利用者さんは一部帰宅することができず、近くの避難所に職員と一緒に一晩すごしてもらいました。翌日もライフラインが全くだめなので、近くの避難所や往診先などのの安否確認を行いました。避難先では着の身着のまま、薬も流されて何を飲んでいたかわからない人も少なくありませんでした。開業の先生方も被災し、連絡もつかず、とりあえず病名で処方するしかない状態でした。日曜日も避難所めぐりで、簡単な処置や投薬を行ないました。(宮城県、60代、一般内科,消化器内科)
被災地である福島県の医師です。地震直後原発事故があり、最悪の事態を想定して、一部の患者を病院の指示を待つことなく転院させたりしました。現在はほぼ震災前と同じ仕事内容となっています。ただ当地はまだ比較的放射線濃度が高く、そのリスクや防護対策などについて学校関係者や父兄などにも啓蒙しようとしています。県や市にも様々な提言、提案を行っています。(福島県、50代、消化器外科,一般外科等)
◎避難されて来た方の抗がん剤治療を継続してできるように準備しました。当院も震災の影響で通常診療がストップしてしまい、外来の抗がん剤治療などの日程の組み直しなど大量に発生しましたが、それをスムースにできるようにいろいろと働きました。(茨城県、50代、消化器外科)
◎勤務先の病院が原発から約45kmにある病院です。震災で病院が倒壊しました。病院が倒壊した時の避難、患者搬送マニュアルがないことに初めて気がついた。災害時に患者が搬送された時のマニュアルがあるが、自身の病院が倒壊した時のマニュアルの早急な作成が必要であると考えられた。(福島県、30代、一般外科)
◎当院も被災地にあたると思われるので、まず病院の診療体制を整えることを第一としました。また物品不足の時期もあり、充分な医療が当地では行なえないと思われる重症患者に対しては他院、他の土地への患者トリアージも行ないました。現在は震災前の状態に近づきつつありますが、当医療圏内にも避難者が多数おり、感染症などによる病状悪化にて多数受診の可能性があると考え、備えております。(福島県、40代、麻酔科)
◎当県は被災県なので、 Twitterでの情報発信、海外への情報発信、患者の受け入れなどを行いました。(千葉県、30代、一般内科,循環器内科)
 
 
 
 被災地に医療支援に赴いた医師のコメント
◎福島県の放射線被曝のスクリーニング検査の応援に行ってきました。3月下旬でしたので、検査を行った人すべてが基準値を下回る結果でした。不安解消のための検査でしたが、もう少し放射線被曝に関する正しい理解を図る必要があると感じました。(宮崎県、50代、その他)
◎療養型HPへの支援で約1週間行きました。目的は、主に常勤医が津波で被災後に全く休めない状態が続き、少しでも休んでいただくためで、入院患者の管理を行いました。(北海道、40代、形成外科)
◎私自身も1週間後に再び被災地に赴きます。これで3回目になりますが、1回目は発災急性期、2回目は3週経過時、そして今回は2か月経過時になります。明らかにそれぞれの活動内容は異なります。災害はその時期によって全く趣を変えます。それぞれの環境の中でいかに有益な仕事ができるように勤められるかが課題です。(東京都、40代、循環器外科,血管外科等)
◎震災後2~3週間の頃に被災地に医療支援に行きました。医療ニーズがそろそろ落ち着いてきた頃で、どうやって役に立てるかと苦慮した覚えがあります。あとは『やりたい』支援者が現場を引っかきまわしていたのが印象的でした。(愛媛県、30代、小児科)
◎舵取りが多すぎて、もう少し統括する機関の鮮明化が必要と思われた。(奈良県、40代、一般内科,血管外科等)
◎陸上自衛隊予備二等陸佐として陸上自衛隊に防衛医官として参加。(東京都、40代、一般内科,腎臓内科・透析等)
◎発生1週間目に福島県に派遣医師として参加し、被災者の被爆量のチェックと避難所での医療を行いました。3泊4日の協力でしたが、疲れはありませんでした。災害派遣では精神的な変化があるといわれており、自分は大丈夫と思っていましたが、現在も被災のことを聞くと涙腺が異常に脆くなり、日常の診療においても患者を診察しながら被災者のことを思い出すこともあります。当院は災害拠点病院でもあり、職員の対応についてアンケートがされて集計中です。 特に、電話連絡が取れず、交通機関が麻痺した今回の事態で職員・家族の安全をどうするか、在宅酸素の患者などの対応をどうしたのか、また患者が病院に押しかけた場合はどうするのかが問題となっています。 個人的には日常診療を支持しつつ災害地への援助を継続して行うにはどうしたらいいのかが問題です。 多くの人がボランティアで身を削って災害協力していることが報われるような社会になってほしいと祈っています。(神奈川県、40代、一般内科,呼吸器内科)
◎有給とって医師会のJMATに参加しました。職場の事情さえ許せばもっと長期間活動したかった。 計画停電の際は手術や検査が延期となり、呼吸器や透析のための電源確保などにも奔走しました。病院業務ではこれが一番大変でした。(千葉県、30代、一般内科,消化器外科等)
◎病院として被災地に1週間ずつ交代で医療支援チームを派遣しています。最近は避難所や老人施設などの一般診察・慢性疾患の管理などが主なようです。(東京都、30代、代謝・内分泌科)
◎医師(私)と看護師の二名が、某NGOに参加する形で医療支援を宮城県南三陸町で1週間行いました。また院内での義援金と余剰医療資材や栄養剤を病院車で石巻市に直接搬送しました。今後も継続的に人的、物資的支援を検討しています。(熊本県、30代、一般外科)
◎県主導で基幹病院持ち回りで医療チームを被災地に派遣しています。医師、看護師、事務員のユニットでレンタカーを駆って片道15時間で通っています。自らの持ち場の仕事を肩代わりしていただけないのがつらいところ。(三重県、50代、一般内科,老年内科等)
◎当院は災害医療への準備が一応なされていました。そのため派遣人員の名簿や順番も決められていました。しかし、やはり図上訓練レベルだったと感じています。とはいえ、すでに10班前後が派遣・帰還を終えました。今後も派遣されるでしょう。私自身は現地へ赴いていませんが今後派遣されるでしょう。現在の派遣形式(実働3-4日)であると、長期化した際には十分に機能しない印象を持っています。また医療以外で介護も難題と考えます。(佐賀県、50代、循環器内科)
気仙沼で医療支援を行ってきました。 急性期での医療の必要性は少なくなっていますが、 慢性期疾患、地元医師への連携等、課題はまだまだあるように思われました。(神奈川県、50代、一般外科)
◎震災1か月後に3泊4日で被災地に医療支援に行きました。被災地でも次第に開業医さんが診療を再開しつつありましたが、避難所のお年寄りは開業医さんまでゆく交通手段もなく、結局は避難所で診察、処方を行うことが多かったように思います。地元の医療施設を支援するためにも、受診のための交通手段の確保など今までとは違った行政サービスが今後必要になってくるのではないかと思いました。(岡山県、40代、循環器内科)
◎大学病院としてチーム編成して、気仙沼を中心に派遣を継続中。各科医師が行っているものの、処方薬や注射、高齢者の療養可能な病院の確保など、一医師の援助よりも緊急の課題が多い印象。(北海道、40代、家庭医療,整形外科・スポーツ医学等)
◎医療救護班として被災地の避難所の巡回診療に行ってきました。 エピソードとしては避難されてきた方が自分のカルテを持っており、そこに開業医さんの書かれた診療録すべて残っていました。開業医さんの対応に本当に頭が下がりました、 全くわからない患者さんの診療に役立ちました。(北海道、30代、一般内科,消化器内科)
◎当院からは多くの医師が派遣に参加しました。 その医師達は帰ってくると少し鬱になっているようでしたが、今は元気に仕事をしています。 我々残された医師は派遣された医師の分まで働き、疲弊しました。救急医として現場に行きたいという医師はたくさんいることと思いますが、行けば自分の病院の医療行為が手薄になるということも認識しておくべきだと思います。 現場に行って患者を助けるのも医師の仕事かもしれませんが、現場に行かず自分の病院に残り患者を助けるのも、同様に尊い仕事だと思います。(神奈川県、30代、麻酔科,救急医療科)
◎救護班として現地に行きました。 現地の悲惨な状況を目にして大変勉強になりました。(秋田県、40代、消化器内科)
◎岩手に心のケアを目的で行ってきました。想像以上に、状況は大変なものでした。(東京都、30代、一般内科,健診・予防医学等)
◎勤務している病院からは震災当日にDMATが出動し、4月末までは県内の医療機関と協力して宮城県から要請のあった特定の町に医療チームを派遣しました。派遣期間中は、残った医師の業務負担が増加しますが、院内の協力はスムーズでした。学会からの要請を受けて、特定の疾患の受け入れ患者数を学会に提出しました。 日常診療では、チラーヂンSなどの処方制限に協力しています。 (島根県、60代、小児科)
◎医療チームの派遣や放射線量測定要員の派遣を行いました。PTSD対応の医師も派遣したいのですが、システムがうまく働いていないようです。(東京都、60代、消化器外科,一般外科)
◎心のケアチームとして参加予定。(三重県、30代、心療内科,精神科等)
◎地区医師会では急性期の派遣を行ったが、今後は当該地域で起こり得る震災への対応策を全会員対象に災害拠点病院を中心とした講演会を早急に開催し、行政を巻き込んだ取り組みを行う予定である。(東京都、50代、一般内科,消化器内科等)
◎身内の被災見舞いに岩手へ行きました。数日の個人医療ボランティアは当然のごとく断られました。まあそうでしょうね。(東京都、40代、形成外科)
◎DMAT派遣の可能性があり、待機していたが結局見送られた。 手術麻酔の応援の話が来ていて勤務先と調整中。 (大阪府、30代、麻酔科,集中治療科)
 
 
 
 ≪医療・後方支援活動≫
◎スタッフは順番に現地に派遣されている。(愛知県、30代、皮膚科)
◎病院からの被災地への派遣はありましたが、外科医は対象外でした。(滋賀県、40代、消化器外科,一般外科等)
◎透析患者の受け入れを行っている。同僚医師で被災地に医師会として派遣された。(京都府、50代、一般内科,循環器内科等)
◎透析患者の受け入れましたが、その後復興に伴い2名が地元東北に転院しました。(北海道、50代、循環器内科,腎臓内科・透析)
◎後方支援中心ですが、必要医薬品の選定と調達、被災者受け入れ態勢確保などの作業を必死に行いました。(栃木県、40代、一般内科,循環器内科等)
◎仙台市東側の大規模な公的病院が被災で病床稼動が約半分に落ち込んだため、透析や救急車、避難所での肺炎の患者などを当院が引き受けた。主に内科の患者だったが、扁桃炎や中耳炎の患者も多く入院させた。(宮城県、50代、耳鼻咽喉科)
◎被災地の県に存在している医療機関です。免震構造だったこともあり、診療設備は無傷で原発からの距離も80kmでした。積極的に避難所からの患者を受け入れています。そろそろ悪性腫瘍の治療などのニーズが増し、忙しくなってきています。(福島県、50代、放射線科)
◎被災地から患者を受け入れ、今は返すことができず困っています。(千葉県、30代、精神科)
◎被災者の受け入れをしています。福島には帰れないのでずっと入院しています。ちょっと社会的入院っぽいです。(群馬県、40代、一般内科,呼吸器内科)
◎被災地の病院からの患者の受け入れは積極的に行いました。十分な診療情報の提供が受けられない症例もありましたが、被災地の状況を鑑みるとやむを得ないと思われました。患者受け入れを依頼されても職場の上司の理解が得られず、やむなくお断りした場合があったのが残念です。(東京都、40代、血液内科)
◎福島の原発関係で転院になった患者さんを受け入れる際、どの病院にどのような患者さんを搬送させるかといった振り分け作業を手伝いました。(群馬県、50代、麻酔科)
◎被災地で診療している医師からの相談を受けていました。 長期化してから、睡眠障害や不安発作、あるいは高齢者や精神障害の人たちへの薬物療法で困っているようでした。(東京都、40代、心療内科,精神科)
◎もし同僚が被災地に行く場合、勤務日を増やすなど対応可能である旨を、上司へ伝えた。 (普段パート勤務なので)(岡山県、30代、小児科)
◎直接被災地に行って診療は出来なかったが勤務している病院から被災地に診療に行く先生の診療を手伝うことでバックアップした。(鹿児島県、50代、整形外科・スポーツ医学,リウマチ科等)
◎同僚が被災地へ支援に行った際、残った自分が、同僚の分の業務をこなした。患者さんには、迷惑がかかったが、その旨を話すと、どなたも快く納得してくれた。(東京都、40代、小児科)
◎支援にいった同僚の仕事のカバー。これも間接的な支援になると思う。(佐賀県、40代、消化器外科,一般外科)
◎今はもっぱらお留守番と後方支援です。我が病院は福島県を支援しておりますので、最初は放射線科医として被曝対策、線量限度などに関する啓もうを行うことも必要でした。(佐賀県、50代、放射線科)
◎地域の小さな国保診療所で、ただでも医師不足に悩んでおりますが、同じ職場の医師がボランティア医療団に入っており、震災翌日から現地に行きたいと申し出がありましたので、私は後方支援で頑張りました。阪神淡路の被災者ですので、その時のお返しができればと思い、私も駆けつけたかったのですが、当方の支援としてはそれが限界でした。その後、その医師は数回の医療支援にいかれましたので、常に後方支援をしました。よく医療ボランティアにいかれておりますが、その陰には、いかれた先生の分のお仕事をしている医師がいるということを忘れてはいけません。開業されている先生は、それこそご自身の収入をたってまでいっているわけですから。(不明、50代、一般内科,神経内科)
◎入院病床を確保していますが、居住地を遠く離れるなど問題が多いです。現在は現地への派遣が充足しているが今後、端境期が生じないかが気になる。(東京都、30代、一般内科,循環器内科等)
◎震災で破壊されて茨城県北部の病院が機能しなくなったので、 その病院の患者を引き受けました。看護師1名が付き添い、救急車で来院されました。 翌日知ったのですが、看護師と救急隊の方は食料をこっそり買って帰られたそうです。 必要なものがあればできる限り支援したいと思っていただけに、残念でした。 近隣の消防隊の方にこの話しをしてみましたが、救急車で物資は運べないようでした。 想定外の事象だからと言っても臨機応変な行動はできないのでしょう。 しかしながら、現時点では想定内になりましたので、 人、時間、物資を無駄なく活用できるように対応してほしいと思います。(茨城県、50代、整形外科・スポーツ医学,リハビリテーション科)
◎関東の大学病院勤務ですが、被災患者を受け入れています。 入院生活に対してだけでなく多くのストレスを抱えていて、精神面でのケアも求められるのを実感します。(東京都、30代、一般内科,リウマチ科)
CTや単純写真、消化管透視やシンチグラフィでの被曝量について問い合わせが増えています。 日本医学放射線学会メーリングリストの発言も、ほぼ原発関係一色になっています。(大阪府、30代、放射線科)
◎県全体の協力として、4-5日ごとに1班(医師2、看護師1、コメデイカル1、事務1)の5名体制で5月2日まで派遣。当院からは都合、7班を派遣。派遣職員の勤務は、残るものが交代で代行。今後は、放射線被爆に対応するDMATの準備中。(島根県、50代、整形外科・スポーツ医学)
◎被災者ではなくても、地震後から、体調を崩したり、不眠や不安などの症状が強くなったり、血圧が高くなったりと、さまざまな影響が出てきているかかりつけの患者さんも多い。よく話を聴くように努めています。(埼玉県、40代、一般内科,代謝・内分泌科)
◎福島原発近くの妊婦が親類を頼って突然紹介状なしに病院に来られた時、いつもは杓子定規に冷たい対応する公立病院の職員が、融通を利かせた対応をしてくれ、患者さんに喜ばれたことが今回の震災で一番のできごとであった。(長野県、40代、産婦人科)
◎勤務先から医療スタッフが派遣されました。 私はいけませんでしたので、病院の売り上げが落ちないよう、救急や外来にせいをだしました。 (埼玉県、40代、脳神経外科)
 ◎医局からの被災地派遣も始まっていますが、女医は後回しということで、男の先生が行っている間の留守を守るように努めています。(宮崎県、30代、心療内科,精神科等)
◎患者の受け入れ態勢も整えてはいましたが、診療圏から遠い為、結局受け入れ要請がありませんでした。(大阪府、30代、老年内科,健診・予防医学等)
◎病院は放射線汚染の後方待機病院として登録していましたが、実際の活動はありません。(広島県、60代、消化器外科,一般外科等)
◎現地に派遣された職員が戻った際のメンタルヘルスチェック。(愛媛県、40代、その他)
◎寄付と受け入れ要請があった場合の患者受け入れを可能な限り行った。勤務先も火の車に近かったので、派遣には応じることはできなかった。(東京都、50代、呼吸器内科)
◎被災地へ直接出向いてはいませんが、 避難所での回診をおこないました。開業医であり一人で診療をしていますので、外来診療を中止してまで支援できないのが現状です。(栃木県、40代、一般内科,一般外科等)
◎医師として取り組んだのは、通常診療をしっかりやること。被災地支援はできない環境ですが、避難者の診療はしています。また自分がしっかり通常診療すれば、他の医師が落ち着いて被災地に出向けます。(長野県、40代、一般内科,総合診療等)
◎自分に出来ること・・・、それは日々の診療をしっかりやること。 相談を受けたら患者さんを引き受けるなど出来るだけ手助けはしている。(鹿児島県、40代、一般内科,リハビリテーション科)
◎被災地の病院の先生からの依頼で、年長児(体重15kgから25kg)用のおむつを送りました。(京都府、40代、小児科)
◎院内からはスタッフが派遣されたみたいですがあまり役には立たなかったようです。個人的には義援金の協力程度です。(兵庫県、40代、呼吸器内科,老年内科等)
◎地元の医療を守ることも被災地支援のひとつだと思ってます。(三重県、30代、循環器外科,血管外科等)
 
 
 
 ≪勤務先での処方等の変化≫
◎処方を30日以内にしました。(千葉県、40代、消化器外科,一般外科)
◎東京の小児科です。各分野での被災患者の受け入れを翌日には学会や専門医療グループのまとめ役への伝達を行いました。実に様々な分野での受け入れを表明しています。ホームページ上での受け入れ表明をしています。日常の診療には支障が出ないように努めました。薬剤不足への対応を行い、長期投与はせず30日程度に限っています。(東京都、50代、小児科)
◎投薬は今まで60日処方していた方にも30日処方で我慢していただくなど、医療資源の分配を考えて処方しました。(奈良県、40代、一般内科,循環器内科)
◎後方支援というほどではないですが、処方をなるべく短期間にしてみました。日常業務から抜け出すわけにもいかず、淡々と日々診療しています。いったいいつから長期処方ができるのでしょうか。単純に患者数が倍になっています。なおさら被災地になどいけません。でも、数人福島の方を診察しました。(埼玉県、40代、一般内科,消化器内科等)
◎処方期間の短縮を患者さんへ要請した。(埼玉県、30代、眼科,産業医等)
◎在庫の少ない薬の14日または28日処方。(東京都、40代、小児科)
◎長期投与の中止など。(島根県、40代、消化器内科)
◎ある特定の薬剤に関しては、処方期間を制限しています。(山口県、50代、代謝・内分泌科)
◎余計な点滴、処方はできるだけ減らしました。(広島県、30代、一般外科)
◎薬の長期投与を減らした。(兵庫県、50代、小児科)
◎長期投薬を避けることくらいでしょうか。(栃木県、40代、泌尿器科)
◎チラ-ジンSの長期処方を控えました。(長野県、30代、一般外科)
◎長期処方を控えた程度です。 (東京都、40代、その他)
◎勤務先での病院では、節電や不足が見込まれる薬剤投与の見直しを呼びかけたり、被災地への医療チーム派遣などしています。(滋賀県、20代、一般内科)
◎長期処方を控えるなどしました。(東京都、40代、眼科)
◎被災者の方の診療、薬品の節約、節電。(山形県、50代、皮膚科)
◎長期処方の抑制等くらいしか有りません。(岡山県、30代、耳鼻咽喉科)
◎災害地への医薬品供給不足解消の目的で、患者様への1回分の処方日数を削減しました。(滋賀県、50代、消化器外科,一般外科等)
◎在庫薬の再調整・不足薬の長期投与控えなど。(宮崎県、50代、泌尿器科)
◎薬剤を東北にもいきわたるようにするため長期処方を減らした。(大阪府、20代、一般内科,代謝・内分泌科等)
◎薬の処方で制限がありました。(愛知県、20代、一般内科,循環器内科等)
◎私の勤務先では処方日数が30日までになりました。受診の回数だけ増えて、処方する薬剤の総量は変わらない。全く意味のないことと感じました。(三重県、40代、整形外科・スポーツ医学)
◎処方日数を短縮し、薬剤の供給に支障がない様に配慮した。(大阪府、50代、皮膚科)
◎義援金に協力したり、漢方の投薬を減らした。(和歌山県、30代、精神科)
◎薬品不足のため、患者さんに説得し、処方量を減らし、被災地に回るように工夫しました。 透析施設であり、介護施設ももっているため、透析患者の受け入れ先として手を挙げ、受け入れ中です。(宮崎県、40代、一般内科,消化器内科等)
◎長期処方をすべてやめ、最長でも1か月とした。(茨城県、40代、消化器外科)
◎処方期間の短縮と、変更ぐらいです。(兵庫県、40代、一般内科,脳神経外科等)
◎医療資源や物品の節約、最低限の節電等は意識しました。(静岡県、30代、一般内科,一般外科等)
◎薬の買占め、と呼べるような高齢者特有の長期処方や「なにかあった時のために1週間多めに」という非常識な希望は一蹴しています。(東京都、30代、神経内科)
◎節電および綿類の節約。 イソジンはハイポ(=ハイポアルコール)を使わないといけないので使わないとか、ガーゼを半分にするとか・・・(北海道、50代、麻酔科,その他)
 
 
 
 ≪勤務先等での防災に対する意識の変化≫
◎今回のことを契機に病院の立地を改めて考えてみたら、海に近い上に標高がマイナスであることが判明し、関係者一同顔面蒼白になりました…。(大阪府、30代、精神科)
◎トりアージの練習や補助電源の設備を徹底した。(大阪府、40代、小児科)
◎海抜数メートル、海から1キロのところに病院があります。患者データなどはとりあえず一階に置かないようにしようかと話しています。(北海道、40代、小児科)
◎勤務先の防災対策は一気にレベルが上がりました。(東京都、30代、一般内科,循環器内科等)
◎院内で一番放射線の人体への影響に詳しいと思われる放射線科のDr, に放射線障害についての勉強会の講師を依頼した。残念なことに、ネットなどで調べられる以上のことを知らないようだった。(兵庫県、60代、麻酔科)
◎防災対策マニュアルを再構築した。(静岡県、30代、一般内科,呼吸器内科)
◎私の施設も沿岸部にありますので、耐震補強工事の前倒しと、 ヘルメットおよび救命胴衣の整備を急いでいます。(高知県、50代、腎臓内科・透析,泌尿器科)
◎当院が大規模震災などの災害を受けた際の対策・対応についての検討会議を行った。(岡山県、40代、一般外科)
◎病理ですので現場へ行く立場にありませんが、勤務先でも被災現場での医療活動の報告会が行われたため、出席させて頂きました。(愛知県、40代、病理)
◎阪神や新潟での地震被災時の報告を、今回の災害の報告と比較している。(愛知県、40代、麻酔科,救急医療科等)
◎医師間の連絡方法の再確認を行った。(兵庫県、40代、泌尿器科)
◎理事長-院長の連絡、連携強化 古井戸の整備 停電時の電源確保 医院の耐震補強 患者誘導の訓練。(茨城県、40代、一般内科)
◎防災マニュアル、予備薬剤、非常食の見直し。(岐阜県、50代、一般内科,循環器内科等)
 
 
 
 ≪その他≫
◎防災も大事ですが、歩いて通える職場がいい、ということを痛感しました。計画停電で1日出勤できませんでした。 病院を中心とした町づくりに着手してほしいです。役所も病院の近くになれば、介護との連携もスムースになるかもしれません。(東京都、40代、一般内科,神経内科)
◎当法人は借金を抱え、しかも今回の被災でMRIがダメージを受けるなどしており、ボランティアを出す余裕などありません。残念ながらもっとひどい地域に行ってボランティア活動することは許されていません。(宮城県、40代、一般内科,整形外科・スポーツ医学等)
◎電源がなくとも会計ができるようにしたい。(千葉県、50代、一般内科)
◎仙台の避難所を回りました。パーティションもなくて、おまけに通路が土足の所もあり、仮設住宅の建設が最優先だと感じました。(愛媛県、50代、心療内科,精神科等)
◎病院では計画停電のため外来や透析など予定の変更に苦労しました。(千葉県、50代、一般内科,循環器内科)
◎スタッフの中には現地に行って医療活動をしたい意向はありましたが人員不足のため、義援金を送るのみです。(大分県、50代、一般内科,消化器内科等)
◎義援金を送るぐらいしかできていません。被災地にもボランティアに行きたいですが、地方も医師不足なのでできていません。(山梨県、30代、一般内科,呼吸器内科)
◎なかなか自分で被災地に行くというのは立場上困難でした。まだ息の長い支援が必要に思いますのでこれからさらにできることがあればよいと思います。(神奈川県、50代、一般内科,呼吸器内科等)
◎募金・節電した位で他には何も出来ません。開業医は1週間日曜日意外診療していますし、閉めてまで応援に行くという事は出来ません。この地の地域医療を担っていますので。(香川県、60代、一般内科,小児科等)
◎義援金を送ったくらいです。 ボランティアに参加するには、今の職場が忙しすぎて、人員が割けませんでした。(東京都、50代、麻酔科)
◎募金程度です。実際直接医療行為を提供したくとも職場の余裕がなく困難でした。(栃木県、30代、代謝・内分泌科)
◎今後も派遣依頼が来ていますが、地方の病院も医師不足で疲弊しており現時点では医師派遣は困難と思います。(山口県、40代、一般内科,消化器内科)
◎義援金と支援物資を。 NPOがボールペンを集めていたので、院内から未使用の製薬会社から頂いたものを100本単位で送らせていただきました。(神奈川県、30代、一般内科,腎臓内科・透析等)
◎被災地患者の受け入れ、節電。 現地への医療スタッフの派遣に関しては、刻一刻と変化するニーズに対する情報不足で出遅れた感があり行えていない。(東京都、40代、一般内科,循環器内科)
◎維持透析患者の受け入れについて迅速に手があがり、ネット社会のいい一端をみることができました。(宮崎県、30代、一般内科,腎臓内科・透析)
◎ICUにいますが、震災直後に重症患者や透析患者が搬送されてくるという話があり、ベッドをあけて待っていました。結局、関東の病院に搬送されて、ICUにまではきませんでしたが。(北海道、30代、消化器外科)

 

 

 

 

 

 

 

12
プリントCSS用

 

【MixOnline】コンテンツ注意書き
【MixOnline】関連ファイル
関連ファイル

関連するファイルはありません。

【MixOnline】キーワードバナー

この記事の関連キーワード

【MixOnline】記事評価

この記事はいかがでしたか?

読者レビュー(0)

1 2 3 4 5
悪い   良い
プリント用ロゴ
【MixOnline】誘導記事

一緒に読みたい関連トピックス

記事はありません。
ボタン追加
バナー

広告

バナー(バーター枠)

広告

【MixOnline】アクセスランキングバナー
【MixOnline】ダウンロードランキングバナー
記事評価ランキングバナー