プロローグ:迷いから始まった20年の旅路
「製薬業界の未来に不安を感じる」「自分のキャリアをどう築けばいいかわからない」――そんな悩みを抱えているのは、あなただけではありません。私もみなさまと同じように未だ迷いを抱える一人であり、リアルな目線での記事を発信できるのではないかと考えています。
私も同じように製薬業界で20年以上歩んできた中で、何度も立ち止まり、迷い、そして答えを探してきました。失敗と挑戦、学びと成長の連続だった道のりを振り返ると、決して平坦ではありませんでしたが、だからこそ価値のある経験となりました。
このコラムでは、私の実体験から得た教訓と洞察を率直に共有し、皆さんと一緒にキャリアの可能性を探っていきたいと思います。
内資から内資へ――最初の大きな決断
薬学部卒業後、中堅クラスの製薬会社でMRとしてキャリアをスタートさせました。内資系大手および外資系から内定をいただきましたが、人事の人柄に惚れ込み入社を決めました。一方、「トップの会社でトップを獲りたい」という強い想いがあり「いずれはヘッドハンティングされ転職する」という想いを心に抱いていました。24歳のとき、突然その機会が訪れました。
複数社からお声がけをいただく中で、私が選んだのは業界最大手のタケダでした。「より大きな舞台で自分を試したい」という純粋な挑戦したいという心が、この決断を後押ししました。
初めての挫折――涙を流した駐車場での誓い
しかし、業界最大手の壁は想像以上に厚いものでした。優秀なタケダMRたちに圧倒される日々が続き、病院の駐車場で情けない自分に腹を立て、涙を流したことを今でも鮮明に覚えています。
周りには強い信念と誇りを持って働く先輩や同僚がいました。彼らに憧れ、必死に食らいついていました。この頃から「患者さんや医療関係者にもっと大きなインパクトを与えたい」という想いが芽生え、マーケティング部門への異動を強く希望するようになりました。
しかしながら現実は厳しく、数千人のMRから選ばれるのは一桁にも満たない限られたメンバーでした。「このままでは埋もれてしまう」という焦燥感から、私は「ダントツに目立つこと」を戦略的に追求することを決めました。
私が選んだ差別化戦略は二つ:
- 難攻不落のKOL(キーオピニオンリーダー)攻略:自分の強みを最大限活かす
- ベストプラクティスの発信:質と量で圧倒的な存在感を示す
さらに、自分のキャリア志向を明確に公言し、様々なステークホルダーにアプローチしました。上司の力強い支援もあり、ついに本社マーケティング部門への異動が実現したのです。
想像を絶する世界――本社での貴重な学び
本社異動後、待っていたのは想像を絶する仕事の量と質でした。何度も心が折れそうになりながらも、優秀な人材が信じられないレベルで努力する姿を目の当たりにし、「自分には人の何倍もの努力が必要である」という現実を受け入れました。
今振り返ると、この厳しい経験が自分を客観視する貴重な機会となりました。家族よりも長い時間を共に過ごした仲間たちとは、何年経っても変わらぬ強い絆で結ばれています。
恵まれた上司と仲間に支えられ、複数の疾患領域(糖尿病、炎症性腸疾患、オンコロジー)で新製品ローンチを経験し、事業部立ち上げにも携わることができました。
コロナ禍が開いた新たな扉――デジタルとの出会い
転機は上海で訪れました。コロナ禍直前、中国で新製品のローンチをサポートする機会を得ました。中国の急速なデジタル化を目の当たりにしたのです。その時、「日本が遅れている」という事実を痛感するとともに、「デジタル化は世界を変える」「日本でも将来的に広がるのではないか」という想いを抱きました。
コロナ禍でその想いは確信に変わり、独学でデジタル関連の知識を学び始めました。その後、マーケティングオートメーション導入に携わる機会を得て、デジタル領域に本格的に足を踏み入れることになります。
あの時の直感と行動が、現在の専門分野を築く基盤となったのです。
40代の決断――大手の看板を捨てて得たもの
40歳を迎え、「50歳、60歳になった時の自分」を意識するようになりました。将来必要なスキルと経験を真剣に考えた結果、まずは三つの要素が重要だと自分なりに結論づけました:
- 幅広い権限を持つ経験
- ビジネスを創っていく経験
- グローバルで対等に仕事をする能力
しかし、転職への迷いは消えませんでした。自分との深い対話を重ねる中で、無意識に「会社の看板やブランドに依存している自分」に気づいたのです。これが決定的な転機となりました。一方、優秀な人材に囲まれ仕事ができた経験は何物にも代えがたく、タケダという素晴らしい会社および仲間に心から感謝の意を伝えたいと思います。
複数社との面談を進める中で出会ったのが、ユーシービージャパンでした。社員一人の責任範囲が広く、幅広い権限をもって仕事ができること、グローバルとの距離の近く英語をふくめたCross-culturalマネジメントを学べること、コプロモーションからソロプロモーションへの変革という新しいビジネスを創る経験を得られること――私の求めるものと合致していました。
転職から3年が経過した今、望んでいた経験を積み、必要なスキルを着実に高められていると実感しています。この場を借りて、継続してご支援いただいた代表取締役社長の菊池加奈子さん、私の上司である事業部長のMartra Alexandreさんに感謝の意を表したいと思います。
会社の枠を超えて――真の価値を問う
タケダ退職前から、一つの問いが私を悩ませていました:「仕事を離れた時、自分に何が残るのか?」
この問いに向き合うため、社外活動を段階的に開始しました。ネットワーキング、プロボノ、講演活動を通じて、自分の能力と限界が徐々に見えてきました。
大企業で身につけたスキルは確かに価値がありましたが、同時に「知らない世界の広さ」と「自分の成長余地」を発見し、ワクワクしたことを覚えています。
同志との出会い――製薬ビジネス研究会という転機
「業界活性化に貢献したい」「やりがいのあることをしたい」という想いから、製薬ビジネス研究会に参加しました。同じ志を持つ仲間との出会いは、私のキャリアにとって重要な転換点となりました。
現在も安達さん、米良さんとともに会を運営し、微力ながら業界の発展に貢献できていることを誇りに思います。
継続する学びと挑戦
最近はブランドマーケターとして、オムニチャネルに関するコラム連載を行っています。また、行動経済学への興味から青森大学客員教授の竹林正樹先生に師事し、論文執筆やコラム連載のサポートをさせていただいています。
課題を感じたら即座に行動する――これが私のモットーです。
縁がつないだ新たなステージ
製薬ビジネス研究会の共同代表として築いたネットワークは、多くの貴重な機会を提供してくれました。ミクス編集長の沼田さんと岡田さんには、このような発信の場を与えていただき、心から感謝しています。
エピローグ:キャリアとは何か
キャリアとは一体何でしょうか。
狭義では職務経歴書に記載する会社でのポジションや経験。広義では、プライベートも含めた人生の歩み全体を指すのかもしれません。
次回からは、この根本的な問いを皆さんと一緒に深く掘り下げ、それぞれのキャリアの可能性を具体的に探っていきたいと思います。
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