「非日常」との出会い
MR活動の部分も私生活の部分も、「日常の世界」に取り囲まれている。だからこそ、日々、右往左往せずに暮らしていけるのだ。しかし、時には「非日常の世界」に遊ぶことも必要である。「非日常の世界」から戻ってきたとき、「日常の世界」が新鮮に映ることに気がつくだろう。
「非日常の世界」を味わうのに最適なのが、『岩佐又兵衛──浮世絵をつくった男の謎』(辻惟雄著、文春新書)である。この本の表紙を見た途端、多数収録されているカラーの図版を目にした途端、そのあまりの過激さに衝撃を受けるだろう。
江戸時代初期に浮世絵を創始し、「浮世又兵衛」と呼ばれた岩佐又兵衛勝以(かつもち)の生涯は長らく謎に包まれてきたが、又兵衛研究の第一人者である著者によって、その数奇な生涯が明らかにされている。
織田信長傘下の戦国大名・荒木村重の息子に生まれながら、父が信長に謀反を企てたため、一族皆殺しの目に遭う(村重は辛うじて生き延びたが)。又兵衛を産んで間もない、「だし」という名の若い母も我が子の行く末を案じながら処刑されてしまう。乳母に救い出された又兵衛は、京都で成人し、絵師の道を歩み、やがて福井から江戸へと移り住む。
又兵衛の作品の特徴は、漢画すなわち水墨画の手法と画題を基調としながら、大和絵の画題をその中に自在に挿んで、和漢混淆の画面を展開させていることだ。和漢というより、狩野、海北(かいほう)、土佐、それから室町水墨画といった新旧の和漢の諸流派の技法の混ぜご飯というべきだろう。それらに共通するのは、又兵衛特有としか言いようのない「かたちを歪める遊び」である。人物の顔つきは、ユーモアたっぷりで漫画そのものだ。
又兵衛の生涯以上に、その作品は衝撃的である。代表作「山中常盤(やまなかときわ)物語絵巻」は、12巻の全巻合わせて150m余りの極彩色絵巻(MOA美術館所蔵)である。テーマは室町時代末に成立した、牛若丸(源義経)伝説に因む御伽草子の仇討ち物語であるが、史実とは異なることをはっきりさせておきたい。なお、この絵巻は、羽田澄子監督によって映画化されている(ドキュメンタリー映画「山中常盤」)が、迫力に満ちた作品に仕上がっている。
物語は牛若の東下りから始まる。平泉の藤原秀衡を頼る旅である。京で我が子を案じる常盤御前。翌春、常盤は侍女を伴い、牛若を尋ねる秘かな旅に出る。山中(やまなか)の宿に着くと、常盤は旅の疲れで病になる。ここで獰猛な6人の盗賊が登場し、常盤の宿に押し入り、無惨にも常盤の黒髪を手に巻きつけて胸を刺す。この常盤殺しの場面は、絵巻のクライマックスにふさわしい緊迫感に溢れている。サディズムやエロティシズムを超えた、もっと切実なもの──又兵衛が、自分のことを案じながら刑場に臨んだ母を常盤の姿に重ね、常盤の受難に感情移入し、常盤と一体になっているように感じると著者は述べている。この後に、牛若の復讐場面が描かれるのだが、首を刎ね、真っ向唐竹割り、袈裟斬り、車斬りと血腥いシーンの連続である。ある研究者の「常盤御前主従が夜盗にあって裸にむかれる生々しくも痛々しい描写を見ては、その容赦のないリアリズムにすっかり魂を奪われて、心臓がいたむほどの興奮を覚えた」という述懐も納得できる。
『怖い絵』と、その続編の『怖い絵(2)』(中野京子著、朝日出版社)も、「非日常の世界」に誘ってくれる。普段は何げなく鑑賞している名画も、角度を変えてみると、恐ろしい真実が見えてくるというのだ。例えば、エドガー・ドガの「エトワール、または舞台の踊り子」の踊り子は、スポットライトを浴びる華やかな存在と思われているが、実は、この時代のバレリーナは金持ちを相手にする娼婦だったと、著者は指摘する。絵の左後方に目立たぬ姿で描かれている紳士こそ、このバレリーナを金で買った男だというのだ。