A社社長からの途方もない紹介の要望。そんな人はいないと言った我々だったが…。

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転職エージェントのオフィスには、企業トップからいきなり電話が掛かってくることがある。
「出来るだけ早く、話がしたい」
美容ビジネスA社社長からの連絡も、何の前触れもないものだった。
トップからの依頼は、大型採用・キーポジションの採用であることが多く、ビジネス上のビッグチャンスを秘めている。勇んでA社に出向いた我々だったが、A社社長の要望は、正直なところ、ムチャクチャなものであった。

「社長秘書で一人採用したいんだ。中国語と英語に堪能で、この業界の基本知識と広報関係のノウハウを持っていること。それから私が財務関係の資料をお願いすることが多いので、そこについても一定の知識が欲しいね」
聞けば、海外進出・提携の話が出て、社長が多忙を極めている時に、広報部門で欠員が出て、仕事がうまく回らなくなっているのだという。
おまけに「スケジュールだけど、明後日なら面接できるよ」というコメントも。どうやら、すぐに希望の人を連れてきてくれると思い込んでいるようであった。

経営者からの依頼は、上で述べたように嬉しい面もあるのだが、採用の実情を無視したムチャな要求をされることも多い。
「そんなスーパービジネスパーソン、転職市場にいるかどうか…」
「そうなの？不況だから、あぶれている人もいるんじゃないかと思ったんだが…」
「それにしても、今日話をしてそれじゃあ明後日すぐ面接です、とはなかなかいきません。アルバイトとは違って、現職を持っている方も多いですから」
「うーむ、なるほど」
「特に今回の内容ですと、長期戦は必至です。必要とされる専門知識が、多岐にわたっていますからね」
「それでは採用の意味がないな」
こう言われておずおず帰っては、我々の存在意義がない。

「失礼ながら、社長は問題を一片に解決しようとしすぎているのかもしれません。ある程度の語学力のある秘書、広報の後任、財務部門強化のための採用、この3つに分けて考えてみてはどうでしょうか？」
社長は腕組みをした。
「そして、その方が君たちは儲かるわけだ」
「恐縮です。しかし、現実的に、スピード重視で対処するなら、最善の方法かと思います。夢のようなスーパービジネスパーソンが現れるのを、ジッと待っていても仕方ありません」
「…そうかもしれない。しかし、3人よりは2人の方が良い。兼務できそうな人がいないか、とりあえず当たってみて欲しい」
「分かりました」

こうして紹介を始めた我々だったのだが、数日後、驚くべき事態が起きた。
A社の社長秘書に応募したSさん（33歳）は、語学上級で外資のベンチャーキャピタルに就職。そこで美容ビジネス会社のコンサルティングに関わり、のちにクライアント企業からスカウトされて、中国でのビジネス立ち上げに参加。その際は兼務で広報責任者もしていたという、A社の求める条件を全て満たしているスーパービジネスパーソンだったのである。
もちろん、前職での給与は彼女の年齢としては破格のものだったが、結婚して日本に帰国、これからは「夫の収入もあるので、ほどほどに働ければ」と、中堅どころのA社の規模も、給与条件もそれほど気にしないというのだ。

ものの1週間でSさんの採用は決まり、A社社長はニンマリ。
「3人採用させてガッポリ儲けるつもりだったんだろうが、アテが外れたな」
「まさか、こんなピッタリな人がすぐに見つかるとは思いませんでした」
「言ったろ。不況だからあぶれている人がいるって。思った通りだ」
「恐れ入ります」
我々は苦笑いをするしかなかった。

それから1ヶ月後、別の社長から突然の電話がかかってきた。
「採用をお願いしたいのだが。A社の社長から、すごい人が採れると話を聞いたんだが…」
良い採用で良い噂が広がるのは本来ありがたいことなのだが、期待があまりに高いのも実は困りもの、今度はどんなムチャな要求が待っているやら…。
嬉しさ半分、ため息半分の我々なのであった。